2025年02月08日 ごもごから枠を出な 「今年は、恵方は、西南西。 ばあちゃん、ネットでわざわざ頑張って調べたんやで」 と、一人しか聞いていない聴講生の1番上孫Y(小6男児)に説明した瘦面。 すると、即座に、「恵方って、誰が決めたの?」と質問が返って来た。 「誰って、、、ネットの答えよ。間違ってないはず」 360度あって、恵方の方向が順々に変わっていって、、、もごもご、、、と、わたしは中途半端な知識を披露しようとしたが、もごもごから枠を出ない。 1番上孫は、(その説明はいいから)「なぜ恵方を向いて拝むの?」と、根本的なことを聞いてくる。 わたしは、もごもご、もごもご、、、 なんでもいいから、恵方を向いて拝めばいいんだ!とは、やはり、言えない自分がいた比堅尼脫毛。 熱心な信仰者である、姑やその上の姑たちは、なぜ?なんて、なかった。 理屈抜きに拝めば救われる、という信仰。 お経は、なぜ読むの? 意味なんかない、読めばいいのだ! 実はお経には意味がたっぷり詰まっているが。 「末端の信者は、そんなことは考えずにひたすら決まっていることを敢行するのみ」 わたしたちのやりとりを聞いていて、そう側から言ったのは、長女(小6孫の母親)だった。 彼女は仏教は学生時代、授業で習い、詳しい。 そう言えば、かつてお盆の時に、姑に読経しろと言われ、口答えしたことを思い出した。 嫁であろうが、家の宗教は強制できない。 宗教によっては、厳しい戒律や改宗を余儀なくされるものもあるが。 孫は真っ白なフラットなアタマで疑問に思ったことをストレートに投げかけた。 信じるものは救われる、、、と、説明すれば良かったか。 「困った時の神頼み」が実情だけど。 だが、自分自身が真面目に信じていないから、頑張って調べたりして、知識を押し付けようとする。 小さい頃に毎週、教会に通っていても、いずれ行かなくなったり、反発したりすることはある755 脫毛。 (ちなみに、わたしは、教会は、大人になってから海外旅行でしか訪れたことがない) コメント(0) Tweet