2024年08月03日 ら行き来は出来る 昨日は久々ぶりに、飲み会。 5時間ぐらい飲んでいた。 量はたいしたことはないけれど。 べらべら喋るついでに、Wさんに墓じまいのことを聞いてみた。 佐賀県にある実家、お墓、いずれは処分するとのこと。 親戚は佐賀県にいるが、子供や孫の代になったらもう行かないだろう、と抖音廣告。 まして、墓など、子供はいざ知らず、孫の代には維持は望めないだろう、と。 ご本人は大学から関西。やはり住めば都。 50年以上住んだ地、さらに引き続き、今の地で骨を埋めるようだ。 親のいた、生まれ育った実家には、もう戻らないらしい。 「お子さんやお孫さんたちの別荘にされては?」と聞いてみると、「維持費もかかるし、もういいかと」とCT費用。 もう少し近ければ、また変わっていたかも知れないが。 仕方ないか。 わたしの場合は、実家が同じ近畿圏内、まだ日帰りで十分行ける場所にあるから行き来は出来る。 やはり近さは重要ポイント。 それと、思い入れ。実家愛。実家が好きかどうか。どれだけ好きか。 わたしは、好きだ。 郷愁だけでもない。 いつまでも、こだわりがある。切れない。 例えば、新しい腕時計を買っても、それまで使っていた腕時計が捨てられない、そんなかんじか。 更新はしても、決して上書きされない。 前のものは全て下に層になって残って蓄積されている。 積み重ねられたパイシートのよう。 だから、断捨離も出来ないのかも知れない荃灣杜牙根。 コメント(0) Tweet