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は困難を来すよう

2025年04月01日

独居高齢者は、身元保証人なり、引受人なり、関係者がいないと、どんなにお金を積んでも(うんと積めば別だろうけれど)入居を断わられるそうだ。
家賃滞納や認知症発症の可能性がある。
孤独死でもされると、事故物件になることを避けるため。
次に入居者を入れるのに時間がかかる。
不動産屋の思惑も理解できる。
が、世知辛い世の中になっている。
一握りのかなりの富裕層でなければ、安心して賃貸物件は探せない。
1億円資産でもそういう実態があることを知る。 

賃貸、年金生活の場合は?
今、住んでいる賃貸住宅を出てしまうと、高齢単身者は、次の住まい探しは困難を来すようだ。

しかしながら、この記事をLINEで送ってきた長女の真意は?
推測してみた。
前はよく、彼女は社会・経済記事を送信してきていたが、最近は、ぷっつり。
関心事が歳とともにスライドすると思われる。


さて。
年末、ここ2日間は、おひとり様100%自由時間。
大晦日から一気に迎春モードにエンジンがかかる。
このメリハリ。
エンジン排気量は、年々低下しているが、成果期待も低下しているから大丈夫。(プラス思考、楽天家)

今夜放送のNHK TV「ファミリーヒストリー」を録画予約しようと、腰を上げた。
すると、あれやこれや、次々とすべきことが目につく。
なかなか予約作業に至らない。
掃除、モノ移動、チェック、、、。
昨日は一日中、椅子に座っていたので、かえって新鮮だ。
立つのは、食事とトイレのみ。
あとは、洗顔して、おやすみなさい。
とかなんとか、否、夕方に雑事をこなしたことを思い出した。
やはり、なんらかの雑事やタスクがないと、のんべんだらりんと、じっと座っているのは空気が動かない。気流なし。
多動症の人には耐えられないだろうけれど。
わたしは、じっと微動だに動きたくない石地蔵なので、動く方が苦になる。

不思議に、来年からのイメージ図がふわっと脳内に浮かぶ。
中期計画。
わたしの年齢になると、長期計画はない。
あの世で続きをするとすると、成仏出来ない。
未練なくあの世に行きたいが、時間調整が難しい。
時間が余るのはまあ良いとして、時間が足らない時が嫌だ。
未練こそ、1番わたしが除去したい心情。
煩悩の一つなので、未練も生きる糧の一つではあるが。
  

ごもごから枠を出な

2025年02月08日

「今年は、恵方は、西南西。
ばあちゃん、ネットでわざわざ頑張って調べたんやで」
と、一人しか聞いていない聴講生の1番上孫Y(小6男児)に説明した瘦面
すると、即座に、「恵方って、誰が決めたの?」と質問が返って来た。
「誰って、、、ネットの答えよ。間違ってないはず」

360度あって、恵方の方向が順々に変わっていって、、、もごもご、、、と、わたしは中途半端な知識を披露しようとしたが、もごもごから枠を出ない。

1番上孫は、(その説明はいいから)「なぜ恵方を向いて拝むの?」と、根本的なことを聞いてくる。

わたしは、もごもご、もごもご、、、

なんでもいいから、恵方を向いて拝めばいいんだ!とは、やはり、言えない自分がいた比堅尼脫毛
熱心な信仰者である、姑やその上の姑たちは、なぜ?なんて、なかった。
理屈抜きに拝めば救われる、という信仰。
お経は、なぜ読むの?
意味なんかない、読めばいいのだ!
実はお経には意味がたっぷり詰まっているが。

「末端の信者は、そんなことは考えずにひたすら決まっていることを敢行するのみ」

わたしたちのやりとりを聞いていて、そう側から言ったのは、長女(小6孫の母親)だった。
彼女は仏教は学生時代、授業で習い、詳しい。

そう言えば、かつてお盆の時に、姑に読経しろと言われ、口答えしたことを思い出した。
嫁であろうが、家の宗教は強制できない。
宗教によっては、厳しい戒律や改宗を余儀なくされるものもあるが。

孫は真っ白なフラットなアタマで疑問に思ったことをストレートに投げかけた。
信じるものは救われる、、、と、説明すれば良かったか。
「困った時の神頼み」が実情だけど。
だが、自分自身が真面目に信じていないから、頑張って調べたりして、知識を押し付けようとする。

小さい頃に毎週、教会に通っていても、いずれ行かなくなったり、反発したりすることはある755 脫毛
(ちなみに、わたしは、教会は、大人になってから海外旅行でしか訪れたことがない)
  

で導き出しているに過

2024年12月10日

「人生」では、くくりが大きすぎるか。
なにしろ、選択肢が広すぎて、どれにしようかと迷うのだ。
生身の人間なら、しつこく食い下がる相談者(わたし)にウンザリされるだろう。
だが、最初から自分で決めつけた結論に執着したり、自慢や自負、自分を勘違いして過大評価していたり、無意識の幻の特権意識が臭っていたりしても、そんなのはお構いなし、Chat GPTの眼中にないはずCivil Engineering Course
相談はやがて、議論に発展する。
議論途中に、わたしが説明の一環として、比喩表現を出すと、ChatGPT は、面白いと言ってウケてくれる。
AI相手にウケを喜んでも始まらない。
が、新しい表現を出すと、明らかに次の答え、局面が切り開かれて進めるようで、エッジも効く。

ではあるものの、わたしの選択肢だらけの中で、どれを選択すれば良いかというアドバイスは、自分で導き出しているに過ぎない。
カウンセラーと同じ。
自分に向き合う手助けをしてくれる。
気づかなかったヒントを示してくれる。

結局、資産運用、投資に例えると、ポートフォリオ型が良いのでは、ということになった中學收生
リスクヘッジを入れる。
あっちが良くても、こっちは悪い。こっちが良くても、あっちが悪い。
が、全滅は避ける。リスク分散。
全部、同じ方向のものを選ばない。
バランス型。
自由すぎる場合、バランスが大事、肝になってくる。

全てが上手く行くことはあり得ない。
時代によってアップダウンはあるし、分野によっても盛衰はあるし、浮き沈みはある。
自分自身にも、もちろんある。
濁流だか、清流だか、どんな流れでも泳ぐのか、流されるのか、その時々の流れ、運不運もあるだろうけれど。
以下、ダラダラくどくど、説明を書こうかと思ったが、カットする。
自分が納得できたらイイんじゃないかと。

同時タスクを同時進行。
本当なら、一つ一つ、取捨選択し、丁寧に見届けてから次に進むべきなんだろうけれど。
何しろ私は、英断やら決断やらとは程遠い性格。
進む道すら、絞り込み決定出来ない。
結論や結果をいちいち決定付けていったら、先に進まない。
途中のまま、進む。
見切り発車。
これをChat GPTは、ポートフォリオ型と言ってくれた。

わたしは自由な暇人なのに、頭の中は、ギュウギュウ混み混み脫毛學生
林住期、自由過ぎると収拾が付かない。
暇を潰すのも体力がいる。
  

ら早めにウチに来

2024年10月25日

我が家に2時間半ぐらいの滞在。
玄関のドアを開け、わたしは、しゃがみ「こんにちわ〜」と孫Fと挨拶。 
Fは、笑顔ではない複雑な顔をしていた。
色々遊んだりしていたが、やがて、電車のオモチャ、広げられたプラレールの線路に電車を走らせた。
この線路を組み立てた本人、一番上孫(小6男児)に遊んでもらおうと長女宅から早めにウチに来てもらった會計軟件
4番目孫(4歳女児)も応援に駆けつけてくれ、遊んでくれた。
だが、Fは、我が家に滞在中、2回「おウチに帰りたい」と言った。
皆んなで盛り上げ協力しているのに。
Fは、次女Rの一人っ子なので、長女の4人きょうだいとは、育成環境が違う。
ではあるが、大人げないバアチャン(わたし)は、少し気を悪くした。
次女Rに、「Fがお家に帰りたいのは、なぜ?」と聞いてみると、
「気分で言ってるだけで意味はない」との答え。
でも援軍ちびっこを投入して、2回も言われると、わたしは気になった。
というか、気分を害した統一派位

子供の言うことをまともに受けてはいけない。
つい最近、喋りははじめたばかりの幼児、言葉の意味を深く理解して言っているわけではないとは思うものの、、、。
訪問先の祖母の気持ちを推しはかる、などという忖度はあり得ないだろうし。
だがしかし、少し傷つくわたしがいた。

いつも一緒に頻繁に過ごす長女一家、その孫たちとは違い、1〜2ヶ月に1度、短時間、接するだけの関係だと、理解や愛着の面から言っても変わってくるのだろうか。
しかも、次女の夫に対して、わたしは少し苦手感がある。
長女一家は長女が親分で家庭を牛耳っているが、次女一家は夫自身も一人っ子でもあり、自由気ままで神経質な面もあり(わたしが勝手にそう感じているだけだろうけれど)、十分に親近感を抱けていない。
まだ家族になってから日が浅く、遠慮もあり、慣れ親しんでいないからとも思われるit support
苦手理由の最大ポイントは、、、笑われるかも知れないが、、、このお婿さん、わたしにはカッコよすぎてどうも親しみが湧かない。
わたしは、昔からカッコイイひとは苦手なのだ。
  

しないが肯定もしな

2024年09月14日

とは言え、愛国主義も一歩間違えると危険性を孕む。
これまたイメージがかなり良くない場合もあるHong kong serviced apartments
思想は取り扱いがデリケート。
わたしは、別に何主義という確固たるものはない。
ひとつの限られた特定のものに対して非難も否定もしないが肯定もしない。
毒にも薬にもならない、非力タイプ。
事なかれ主義?
一番、中途半端で、1番危うい。
選挙でいうと浮動票か。
いわゆる平和ボケだと感じている。
いつまで平和が維持されるのか。
年々、戦争経験者がどんどん亡くなっていくと、伝える人がいなくなる。
毎年、終戦日を迎えると、多くの犠牲の上に立って築かれた平和の意味をより深く知る婚禮場地
平和を願わない人はいない。
が、毎日のニュースにはこころ痛める。

ちなみに。
小学生向きの「世界の歴史」漫画、なかなか読み進められない。
学生時代、いったい何を学んだのだろう。
紀元前の話など、授業ではほんの一瞬で過ぎてしまっている内容だ。

それはそうと、話は戻る。行ったり来たり。
地震のごとく揺れが激しい。
「虎に翼」。
結婚に対して、あんなに純粋に真面目に向かい合うなんて、なんて素晴らしいことか。
わたしには、おそらく1μもないと思われる。
結婚は、永久就職先探しだった。
ではあるものの、目の前に並べられた就職先を選ぶのに、最後に背中を押すポイントは、、、やはり、相手はAIではなく、生きた人間であること。
全員、生きた人間だったけれど。
とかなんとか、結婚はいくら考えても、両者が合意しなければ進まない禮品訂製
ご縁だ。
タイミング。くじ引き。ギャンブル。
とは言え、その時に最善の決断をした結果だ。

寅子のように恋愛に疎いタイプでも、あんなに素敵な相手とドラマチックに結ばれた。
恋愛や結婚に、あれこれ求めないほうが良いようだ。
  

ら行き来は出来る

2024年08月03日

昨日は久々ぶりに、飲み会。
5時間ぐらい飲んでいた。
量はたいしたことはないけれど。

べらべら喋るついでに、Wさんに墓じまいのことを聞いてみた。
佐賀県にある実家、お墓、いずれは処分するとのこと。
親戚は佐賀県にいるが、子供や孫の代になったらもう行かないだろう、と抖音廣告
まして、墓など、子供はいざ知らず、孫の代には維持は望めないだろう、と。
ご本人は大学から関西。やはり住めば都。
50年以上住んだ地、さらに引き続き、今の地で骨を埋めるようだ。
親のいた、生まれ育った実家には、もう戻らないらしい。

「お子さんやお孫さんたちの別荘にされては?」と聞いてみると、「維持費もかかるし、もういいかと」とCT費用
もう少し近ければ、また変わっていたかも知れないが。
仕方ないか。

わたしの場合は、実家が同じ近畿圏内、まだ日帰りで十分行ける場所にあるから行き来は出来る。
やはり近さは重要ポイント。
それと、思い入れ。実家愛。実家が好きかどうか。どれだけ好きか。

わたしは、好きだ。
郷愁だけでもない。
いつまでも、こだわりがある。切れない。
例えば、新しい腕時計を買っても、それまで使っていた腕時計が捨てられない、そんなかんじか。
更新はしても、決して上書きされない。
前のものは全て下に層になって残って蓄積されている。
積み重ねられたパイシートのよう。
だから、断捨離も出来ないのかも知れない荃灣杜牙根。  

経験は出来ずじまいだ

2024年06月21日

新作映画を以前から定期的に観ていた。
これは、1人ではなく2人で行っていたが、ある頃から、一緒に鑑賞していた人が時々、鑑賞中に居眠りをするようになった。
いびきをかくこともあり、気持ちよく映画を観ている妨げになった。
で、眠っているのか起きているのか気にならないぐらい離れた席で鑑賞するようになった去黑眼圈
それでも、いびきや、咳が時折、聞こえてくることもあった。
ではあるものの、隔離鑑賞は悪くなかった。
が、その人物には明らかに映画の内容がわかっていないだろうと推測できるものもたくさんあり、感想などは一切話さず、インターネットで解説や皆さんの感想を読むようになった。
一緒に映画を観る意味がほぼほぼない。
それもあって、1人で観るようになった。

そもそも、なんで映画を2人で観る?
共通体験を通して、なんらかの得るもの、構築するものがあるなら別だが、それも期待出来ない脫毛 邊間好
だとすると、わざわざ時間を調整するために苦労したりして、時間を作って一緒に映画を観ることはないだろうという考えに至った。
時間の調整だけならまだしも、時間を作るのは負担である。
家にある不用品の山の断捨離はまだまだだが、人間関係における断捨離は、少し前から行っている。
中には、断捨離したくなくても、他界による自然減もある。


話は変わる。
昨日、孫たちの小学校の運動会だった。
小1女孫、小4男孫、小6男孫が出場。
(保育所女孫は見学)
観る側にとっては待ち時間はあまりない、2回に1回は観戦、応援。
省エネのわたしにはピッタリ。
それにしても、6年も通っていた保育所では最年長だったのに、小1のまあなんと、小さく可愛いこと。
「ばあちゃんは絶対に観に来たらダメ」と小1女孫に言われていたので、柱の影からそっと観ていた。
(運動場には柱がないので、心境光景)

午前中で終わり、今年が最後の運動会となる1番上男孫は、ついに、小学校運動会で校庭でお弁当を広げる経験は出来ずじまいだった。
コロナ後、父兄の来場制限が緩やかになり、ジジババも運動会に参加できるようになったせいか、結構、観客で賑わっていた。

その中でトリは、最高学年(2学年合同?)の組体操。
音楽と、ピッという号令の笛に合わせて、次々と決めていく。
涙が流れた。
子供達の成長。
自分の孫だけでなく、多くの未来に羽ばたく子供達が頑張っていた。
何故か、これを書いていてまた涙がツツツ。

障害のある子供達も一緒に演技をしていた。
別の学年の出し物のサポートを、別の高学年の子供達がしていた古法紮肚
高学年孫達が行う、そのサポートも観ていると、全部の種目を観ることになった。
晴天に恵まれ、運動会は無事行われ、それを観ることが出来たわたしは、澄み切った青空の元で、幸せをしみじみ味わった。
家から至近距離の保育所からずっと運動会や生活発表会(学芸会)を観続けることが出来て、本当に嬉しい。
コロナ時期を挟んだせいで、人々の幸せを再認識した。
小学校も地元で、地域密着型。
児童数は少ないが、それもまた時代の波。  

流れで出て行ったのだ

2024年05月15日

話は戻る。
この、わたしの嫁ぎ先のご先祖さまは、全員実家の墓に入れるわけではない。
直系血族のみ。
傍系は入れない。
これ、すごくない?
(そういう宗派の考え方、ルールらしい)
傍系が結婚すると、独立して墓リザーブ席からも出て行く脫毛價錢
跡継ぎ以外は、墓に入っている人々は、成人する前や若い頃、亡くなった人ばかり。
未婚のまま独身の成人の人は見当たらなかったが、なんらかの流れで出て行ったのだろう。
あるいは、傍系は全員結婚して出て行った?
血が繋がっていなくても、跡継ぎ養子や嫁は墓に入っている。
不思議。

まあそういう「この世」と「あの世」を繋ぐものが墓なのか?
過去と現在を繋ぐもの?
宗派によっては形式は全く違うだろうけれど、世界中を見ると、亡くなった人には冥福を祈り、祈りを捧げるhairless 脫毛好唔好
細かい形は、それぞれだろう。

しかし人を生かすも殺すも宗教。
扱いを間違えると悲劇が起こる。

嫁、墓、宗教。
昔は一直線に切っても切れなかったが、今は隔世の感長者助聽器價錢
結婚しない。
結婚の意味を問われる。

新興宗教もあるし、いつの世も、人のこころは浮遊し彷徨うようだ。  

をしていないと想像

2024年04月03日

わたしはメンタルが強いほう。
というか、鈍い。にぶい、とろい。
ではあるものの、わたしは、すぐ良いように解釈したり、忘れる移民加拿大
執念深さや粘り気が不足しているかも?
いやいや、蛇のように、ジトっと陰気臭く攻撃の機会を狙っているかも?
いやいや、最近はそういうマイナス思考ではなく、明るく老後計画、自分教の教祖であり、かつ信者。

しかし、悪女になって、何がしたい?
地位、名誉、栄誉、権力、お金、人気を得たい?
(あ、これ以外に大事なものを忘れた。
現役女性の皆さんからブーイングの嵐かも?
愛している人からの「愛」。これ、必要かな?と→想像)

そんなの、いりません。
「やりたい時に、やりたいことが出来る状態」があればよい愛爾蘭移民
それを「幸せ」というらしい。
(幸福論のリーダーが著書でそう言っていた)

静かに暮らせる老後の資金だけでよい。
それと、心身の健康を維持したい。
お金はさておき、健康部門は、悪女であろうがなかろうが、関係ない。
なので、憧れカテゴリーに「悪女」を入れる意味がない。
できれば、入っていないほうが望ましい。
ではあるものの、「悪女」の二文字に食らいついてしまうこの吸引力。
怖いもの見たさか。

人間は二面性があり、表裏一体でもある。
善人と悪女も、解釈の仕方によっては変わる。
時代によっても変わる。
誰が見ても「悪女」とされるのは、罪を犯したらわかりやすい。
実際に罪を犯すのと、「罪な人」は別。

一般的に女性はあまり暴力性がないと思う。
女性ボクサーやレスラーもいるが。
血みどろにさせてやりたい、というような欲求からボクシングやレスリングをしていないと想像する。
わたしが勝手になんの根拠も論拠もなく考えるには、女性は毎月血を見るし、出産でも出血する。
だから、あえて能動的に出血させるようなことは、もう結構、No thank youなのではないだろうか。

たんに男女問わず「悪人」でよいのに、「悪女」と、わざわざ表現するには、男性に対して悪い女性、ということか。
男性をだます、手玉に取る。
しかし、、、これまた、なんの根拠も論拠もないが、善女は、結構、厄介だったりする船運英國
悪女は自分が悪であることを自覚しているが(自覚してないなら、そうとうの脳みそ)
善女は、自分が正しい、善であるとなんの疑いもなく信じている。
それが強すぎて、逆の作用を働かせることもある。
(男性、女性に限らないが)  

恋文が書けたかも知れ

2024年02月21日

決して嘘八百を並べたてているのではない。
こころから思ったことを文字にしている、、、のではあるが、美しすぎる、、、。
ごろっと変わったからといって、極悪人や犯罪者になるわけではない電動牙刷比較
環境や年齢によって、人はこんなに変わるものかと驚いた。
それと、わたし、、、自分で言うのもなんなんだが、手紙がうますぎる。
もしあれがラブレターなら、相手はイチコロである。
残念ながら、ラブレターは中学1年の初恋の相手に書いて、こっぴどくフラれて以来、1通も書いていない。
苦い思い出と共に封印された。
それはある意味、良かったのかも知れない。

それはそうと、先日、事務所で廃品処理をしていて、出てきた手紙があった。
20年前の、パソコンで打った手紙のコピー。
わたしが迷惑をかけた人に詫びる内容なのだが、これまた素晴らしい出来栄えだった。
手書きではないので、文字の特徴や雰囲気は醸し出せないが、内容はかなり良かったcool 牙
結構、真摯に相手に謝っていた。
(その相手とは今もお付き合いはしている。
クリスマスLINEをもらったばかり)
わたしの未熟な行いを許してくれたのだろう。
書いたことはすっかり忘れているものの、わたしは手紙が上手だと自分で感心した。
美辞麗句を並べたてるのではなく、拙い文章ながら真面目に、ちゃんと相手に向かっている。
これなら、初恋の人にフラれさえしなければ、紫式部か清少納言のように、情熱的な恋文が書けたかも知れないのに、、、残念。
(自画自賛とはこのこと)

話を姑が大事に取り置きしてくれた手紙に戻す、、、。
若き日のわたしは、真面目だったようだ。
そして、可愛いこころを持っていた。
今は別人でも、過去はそうだったという事実は事実。
舅、姑に可愛がられたのは偶然たまたま相性が良かったからだと思うが、それ以外にも、わたしはとても純真だったなあ、、、と。
今は、カケラも片鱗もないけれど。
どこに行ってしまったのだろう?
どこに消えてしまったのだろう?

男性は過去を引きずるが、女性は上書きすると言われる正電子掃描
ではあるが、過去があって、今がある。
上書きは、全く別のものを上書きするのではなく、アップデートした、改良・改善されたものを上書きする。
あるいは、劣化したものを上書きする。
人生の経路は色々だ。  

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